富士胶片光電(天津)有限公司

【FUJIFILM Opt_Electronics (Tianjin) Co.,Ltd】デジカメや携帯用カメラのレンズを大量生産 購買の強化でさらなるコスト競争力の向上目指す



電子部品の代表とも言えるレンズユニット。そのレンズユニットを天津で15年以上生産するのが富士フィルムの生産子会社であるFUJIFILM Opt_Electronics (Tianjin) Co.,Ltd(富士胶片光电(天津)有限公司)だ。操業当時は28人だった従業員が、現在では3000人以上になるなど順調に成長した。ただし、民生部品の低価格化には拍車がかかっている。同社の董事 総経理である高橋美宣氏と副総経理の楊洪氏に、会社の成り立ちと今後の戦略について聞いた。

高橋美宣氏
FUJIFILM Opt_Electronics (Tianjin) Co.,Ltd(富士胶片光電(天津)有限公司)
董事 総経理


‒‒ 事業の概要を教えてください。

楊洪氏
FUJIFILM Opt_Electronics (Tianjin) Co.,Ltd(富士胶片光電(天津)有限公司)
副総経理


弊社は富士フイルムの関連会社の中でも、各種のレンズ機器や光学機器を扱う光学デバイス事業部の製造会社という位置づけになります。日本においては光学デバイス事業部のメインは大宮事業所となります。大宮事業所には営業部門、開発部門、設計部門、購買部門があり、天津では大宮事業所で設計されたものを基本的に生産します。

具体的な生産品目ですが、プロユースのものとしては放送局向けのレンズ、CCVT(監視カメラ用)のレンズ、映画撮影用のレンズなどを手がけています。また、コンシューマ用としてはデジタルカメラ用レンズ、携帯電話機用カメラレンズ、双眼鏡用レンズなどを手がけています。

現在、日本の大宮事業所では、ほとんど生産を行なっていません。一部、放送局向けのあまり生産量が多くないものを作っているだけです。光学デバイス事業部の製品の製造は天津か、もしくはシンセンにも同様に製造会社があり、この2拠点で手がけています。

‒‒ 天津に拠点を構えたのはなぜですか。

富士胶片光電(天津)有限公司 天津(西青)工場



光学デバイス事業部が中国に進出したのは1995年と17年前です。当時は日本で製造していたのですが、人件費の高騰などの時代の流れもあり、コスト低減のために海外生産、とりわけ安い労働力を求めて中国での生産を検討しました。いくつか候補地を見て回った結果、この天津の地に決めました。

その決め手は水です。レンズユニットの制作で非常に重要な工程はレンズの研磨です。レンズの表面を研磨剤を使って少しずつ磨いていくのですが、この工程でレンズの良し悪しが決まってしまいます。そして、研磨の工程で重要なのは、使用する水です。水は酸性でもアルカリ性でも駄目で、中性が適しています。そして、その水が合ったのがこの天津でした。

港に近いというのも決め手の一つでした。操業した当時は、材料や部品はすべて日本から送られてきました。それらの多くは船便で送られてきたので、港に近いことが有利だったのです。

‒‒ 17年間で順調に拡張されたのでしょうか。

実は1995年に操業したのはこの西青経済技術開発区ではありません。さらに市内に近いところに工場を構えました。我々が洞庭路工場と呼ぶその工場を開設したときは、従業員はわずかに28人でした。

その後、携帯電話機用カメラのニーズが急激に増え、人員も工場も次々と増やしました。ただ、洞庭路工場は近くが住宅地で拡張するにも限界があり、次の工場を検討せざるを得なくなりました。そして、この西青経済技術開発区に進出してきたのです。工場が生産をはじめたのは、2005年になります。当時は従業員の数も2000人弱にまで膨れ上がっていました。

‒‒ なぜ、西青経済技術開発区に決めたのでしょうか。

それは、洞庭路工場にも近く、また市内にも近いという便のよさです。洞庭路工場は、市内に近いため天津人の社員が多く、多くは市内に住居を構えていました。あまり遠くの開発区に進出してしまうと、洞庭路工場との連絡も悪くなってしまいますし、また従業員の交通も不便です。その点、西青経済技術開発区は市内に近かったので、あまり悩まずにこの開発区に決めました。

進出して分かったのですが、西青経済技術開発区は分からないことに相談に乗ってくれるのはもちろん、定期的に勉強会などを開いて我々を助けてくれます。例えば、中国では政策が変わることがよくあるのですが、政策が変われば仕事のやり方が変わる可能性があります。そのような場合、西青経済技術開発区はすぐに勉強会を開き、進出企業の不安を取り除くように勤めてくれます。

‒‒ 今後の成長戦略について教えてください。

照相机镜头 Digital lenses



これまで述べたように、弊社は1995年に操業してから順調に成長しましたが、リーマンショックのころをピークに、従業員の数も売上も減っています。昔ほどの仕事が来るとは思っていませんが、コスト競争力には磨きをかけたいと思っています。

そのために実践したいのは、現地化です。現在、レンズユニットを構成する部品の多くは現地の企業から購入していますが、一部の製造が難しい部品は、まだ日本から送ってもらっています。それらはステッピングモータやフレキシブルプリント基板などです。我々が販売する製品の中で、部品代の占める割合は、多いものでは8割に上ります。いくら組み立て作業を効率化して、無駄をなくしたとしても、大きなコスト削減にはなりません。中国で優れたサプライヤを探すことは今後の一つのポイントだと思っています。

‒‒ そのためには、購買部門の強化が必要です。

その通りです。現在、購買部門の人間を日本から少し増やしています。彼らには、もちろん優秀なサプライヤを探してもらうことも実践してもらっていますが、それとともに、日本流の仕事の仕方を現地の人間に教えこんでもらっています。業務も現地化しなくてはなりませんから。

業務を教え込むためにも、この開発区にはメリットがあります。市内に住んでいる天津人が多く、定着率が高いので、技術も定着しやすいのです。また、正確も素直な人間が多いので、ものづくりには適していると感じます。 
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