天津市案内

天津市案内
 
 
 
 
 日本人の方にとっては天津と言えば「天津甘栗」と「天津飯」がよく知られているだろう。だが、実はこの二つの食べ物はともに
 
天津の名物ではない。天津飯は天津の料理のみならず中華料理のメニューにも存在しなくて、日本料理であるとみられる。また、栗は天津市のお隣の河北省で生産されたもので、昔から、天津港から日本へ輸出したため、「天津から来た栗」というわけである。この二つの事例から天津という名前は日本人の方にとって、よく知られて親しまれることは事実とも言えるだろう。
 
 
 日本企業と経済界にとっては、天津は中国の経済発展の第三の成長エンジンで、ビックチャンスだ。経済成長率の高さはここ数年に渡り、全国トップである天津は深圳を中心とする珠江デルタと上海を中心とする長江デルタの次に、新たに中国経済発展の第三番目の牽引車と位置付けられた。
 
 
 
 

概要 


天津市は、四季の移り変わりがはっきりしているという点では、日本と共通しているところである。天津市の総面積は1万1920km2。これは東京都の約5.5倍で、秋田県とほぼ同じ大きさ。人口は約1300万人で、東京都とほぼ同じ。緯度は秋田県、岩手県とほぼ同じ。日本の東京と比べると夏は暑く冬は寒いが、からっとしていて雪が降ることも少ないので、非常にしのぎやすい環境である。これまで深刻な洪水災害が起きたことはなく、地震が発生する可能性も極めて少ないと言われる。したがって、産業生産活動という点では、安心できる環境が揃っていると言えるだろう。
 



 
天津の町
 
北京、上海、重慶とともに、中央政府の4直轄市である天津市は、首都北京と隣接し、渤海湾にも面した天津港を保有していることから、古くから海外への玄関口として栄えてきた。その天津が開港されたのは1860年と今から150年前。以降、欧米を中心として9カ国が租界地を置くなど、国際都市の様相を呈した。また、中国近代工業発祥地のひとつであり、中国初の腕時計、自転車やテレビは天津で誕生した。
 
 
 当時の歴史的建築物は、天津市政府が解体などを規制、保護することで、多くの観光客の目に触れられるようになっている。世界各国の金融機関が集まり国特有の建築様式の違いが分かる解放北路、ユニークな一戸建て住居が並び「万国の建物博覧会」とも言われる五大道、「華北のウォール 街」とも呼ば

れる解放北路、旧日本租界地に残る洋館である張園などがその代表。急速に工業発展が進む中で、趣ある古い町並みが共存するのが、天津の魅力の一つである。





天津の経済
 英国の経済週刊誌エコノミストが2012年3月に発表した「世界の都市競争力ランキング」によると、天津は「経済競争力」指標で、120の都市の中でトップに選出された。GDPの伸び率がここ数年、中国31の省市自治区の行政地域で最も高いと言われている。その結果、2011年のGDPは約1兆1000億元と上海市、北京市に次ぐ第3位にまで成長した。




 

  上述した高成長する理由の一つは立地の良さにある。
 首都北京との距離はおよそ120km。2008年、北京オリンピックの直前に開通した中国版新幹線により、天津―北京間はわずか30分で移動できるようになった。

 

 

 
 
 また、前述したように華北最大の貿易港である天津港には、10万トン級の貨物も接岸できるし、さらに、国際空港である天津浜海国際空港も市内の近くに備えており、陸・海・空のいずれにおいても、アクセスが利便であるというのが大きな強みだと考えられる。
 
 
もう一つの理由は中央政府からの強力な支援である。環渤海湾経済圏は、2000年代に入ってから中国第三番目の経済成長センター(経済牽引車役)として注目され始めた。そして2006年に策定された「十一・五」(第11次5ヵ年計画)によって、天津浜海新区の開発か深圳経済特区と上海浦東新区の規模を上回る国家開発プロジェクトとなり、環渤海湾経済圏を先導の役割を果たしていくこととなった。
 さらにその最大の要因は、また天津市にある10以上の開発区が、海外企業の誘致を積極化していることにあると思われる。

 天津は広州、上海より手遅れたが、賃金、土地代などコストがそれよりは安くて、また、沿岸部の便利性もある。また、市場の面においては、華南や華東の沿海部 は、既に競争が厳しく、大手企業と大資本でなければ新規参入が難しい状況になっているが、環渤海湾経済圏の市場拡大はこれからだと言える。日系企業の天津での成功がトリガーとなり、将来の大規模市場を持つ可能性は大きい。

 そのうち、トヨタ自動車やエアバス、サムスンなど世界的な企業が続々と天津に進出し、航空宇宙開発、設備製造、電子情報、バイオ医薬など、八つの柱産業が活発に生産活動を行なっており、天津はまさに真の工業都市に変貌しているといっても過言ではないのだろう。
 

 



天津と日本

 

 天津市はこれまで日本との間で非常に良い関係を持ち続けており、天津と神戸は1973年中日両国間の最初の姉妹都市を結び、中日友好の先駆者とも言える。その後、三重県四日市市、千葉県千葉市、北海道函館市とは次々に姉妹都市として提携していた。

 
 
 日本から初めての中国に対する直接投資企業の大塚製薬さんは、現在でも天津で順調に生産活動を行われている。天津市は10校以上の大学が日本語科を設け、毎年1000人以上の日本語専門の卒業生が輩出されている。町の中に走るタクシーはほとんどトヨタ産である。
 
 

 2012年時点で天津市に在住している日本人方の数は約4500人前後、登録している日系企業は3000社ほどあるとはいわれる。

 トヨタ、電装、アイシン精機などの自動車産業;松下、ローム半導体、キャノンなどの電子情報産業;武田薬品、大塚、ロートなどの医薬品産業、東芝など製造メーカーと丸紅、三井物産など大手商社、日本三大銀行が天津にも進出していることにも注目されるところだろう。

 
 

 それとともに、200軒以上の日本料理店と伊勢丹、ヤマダ電機、イオンモールなどのサービス業も進出し、ユニクロ、無印良品などの店舗は天津の街に並んでいる。セブンイレブンは65店舗が展開されている。また、日本人会、日本人学校と桜幼稚園などもあり、日本人向けの弁護士事務所、会計士事務所、クリニック、コンサルティング会社も数多くある。日本人方の快適生活に相応しい環境が整っていると言える。

 最近、厳しくなる中日関係の中にも、日本とは関係の深い天津市は非常に冷静で、大規模なデモと日系車の破壊などは一件もなかった。街の中にもトヨタなど日系の車は普段どおりに走っていた。伊勢丹、山田電機など日系モールと日本料理店も通常通りに営業を続けてきた。そして、伊勢丹の天津2号店とユニクロの新店舗も予定通り開業した。

 


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